ゲームコラム

ファミ通30周年!別冊のゲームハードヒストリーがすごい。。

2016/07/08

ファミ通が30周年ということで、いつにない分厚さを誇っていたので
つい購入してしまいました。

別冊付録のゲームハード・ヒストリーは
ファミコン以前に遡るレトロゲームハードの数々が登場して
非常に面白かったです。

ということで、ちょっとファミコン以前のハードについて
書いてみようと思います。

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▼最初のテレビゲームハードが登場したのは1972年!

ファミコンが発売されたのが1983年7月15日
最初のテレビゲームハードが登場したのはファミコンより
10年以上も前のことだったんですね。

アメリカの家電メーカーマグナボックス社製、オデッセイというハードです。

gamehard

白いボディが未来的でかっこいいですね。

以下、ウィキペディアより抜粋
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・主な仕様
コントローラーはジョイスティックでなくパドルコントローラである。
一つのコントローラーにパドルが2つあり、上下左右の動きをサポート出来る。
現在の多くのビデオゲームに付いているボタン類は無い。
ゲームの切り替えはスイッチでなくカードを差し込む。
このカードにデータ読み書き機能等はなく、ただ切り替え回線が入っているのみである。
一部のゲームは別売りカードを買わなければ遊べない様になっていた。
ブラウンボックスには付いていた色と音は、オデッセイではコストの関係から省かれた。
また本体以外に以下のオプションが用意されていた。

オーバーレイ
Overlayとは「上に置く、重ねる、かぶせる」の意。背景の描かれた透明な板。
画面に出てくるキャラクタは白い正方形のみで当時の技術では背景どころか
キャラクタも表示する事が難しかったため、このオーバーレイをテレビ画面に貼り付け、
ゲーム上の場所の移動可能・不可能の区別などの把握や雰囲気をサポートした。
これはテレビのサイズを考えて大小2種類ある。

光線銃
前述した銃も別売りされている。当時エレメカで既に人気ジャンルとなっていた
ガンゲームの影響も強いと考えられる。なおこの光線銃の製造は、
ファミコンを発表する以前の任天堂に発注された。

おもちゃの紙幣やチップなど
画面には点数表示も無いため、これを補うために用意されている。
そのため、ビデオゲームというよりボードゲームの延長線上を感じさせた。
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任天堂、この時代からしっかり家庭用ゲーム機に食い込んでいたんですね。
「光線銃」を作っていたとは!(笑)
パドルコントローラーというところも今からすると斬新です。
ちょっと違いますがスーファミのアスキーパッドを思い出しました。

 

▼ファミコン登場までに存在したゲームハードは10機種以上!

ファミコン登場までに存在したゲームハードはなんと10機種以上あったようです。
一つ一つ見ていきましょう。

・テレビテニス(1975年9月)

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まずはウィキペディアによる解説を。

以下、ウィキペディアより抜粋
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テレビテニスとは1975年9月12日にエポック社から発売された
日本初の家庭用テレビゲーム機である。
発売当時の定価は、19,500円。俗に「ポンテニス」と呼ばれた。
マグナボックスと技術提携し開発されたゲーム機[1]。
日本初の家庭用テレビゲーム機でありながら、本体のアンテナから
UHF帯の電波を発信しテレビ側のUHFチャンネルで受信するという現在でも
珍しいワイヤレス機でもあった。
ゲーム内容は、モノクロ画面に表示される左右に飛びかうボールを
2人のプレイヤーがパドルを使って互いに打ち合うというルール。
スコア機能がなかったため、本体上でスコアをカウントする為のダイヤルが付いていた。
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こちらが日本では初のゲームハードに当たるんですね。
ゲーム画面はテニスというよりホッケーですね。
スーファミのがんばれ!ゴエモンのミニゲームを思い出します。(笑)
懐かしい。あのミニゲームだけのために小学生の頃ゴエモンで遊んでましたよ。
敵を倒して小判を稼いではホッケーやに通うという。。

話がそれました。

このハード、テレビとの接続はワイヤレスだそうで、1975年という時代に
そんな発想があったのかと驚かされます。
現代でもハードとテレビは線をつないでますからね。
もちろん、アウトプットする情報の量も質も違うので仕方ないところとは思いますが。。

スコアが手動などのレトロ感もいいですね。

 

・テレビゲーム15・テレビゲーム6(1977年7月)

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任天堂初のテレビゲームハードがこちら。
ネーミングのストレートさが時代をうかがわせます。

ウィキペディア情報を見てみましょう。

以下、ウィキペディアより抜粋
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概要

任天堂初のテレビゲーム。100万台を売り上げた
元は電卓メーカー「システック」と三菱電機が共同開発していたものであり、
システックが倒産したのを受け、三菱電機が任天堂に企画を持ち込み、
さらに改良を加えて発売までに至った。内容は主にPONGに代表されるテニス
または卓球ゲームの類である。ケーブルで本体に接続されたコントローラーが二個あり、
それぞれのプレーヤーはコントローラーを手に持って操作することもできた。
廉価版の「カラーテレビゲーム6(シックス)」と共に発売した。テレビゲーム6では、
テレビゲーム15のゲームスイッチ(遊べるゲームの数)を9つも省いてあり、
ゲームコントローラーも本体直付けだったため、定価で5000円以上の価格差があった
「15」のほうが人気が高かった。これは任天堂の販売戦略によるものとされている。
価格は廉価版だった「6」が定価9,800円、「15」の方が15,000円である。
この当時、テレビゲームのソフトウェアは本体に内蔵された電子回路で構成された物で、
現在のゲーム機のようにCPUにプログラムを与えて画像を表示したりする物ではないために、
ソフトウェアを交換する事はできず、スイッチの切り替えでゲームの内容を電子回路の
切り替えによって変更していた。これを家庭用のテレビ受像機に接続して遊ぶ。
テニスゲームやブロック崩しの操作といえば可変抵抗器を使用したボリュームタイプの
コントローラーが広く知られているが、初期型(Model CTG-15S 黄色筐体)ではつまみに
マイクロスイッチが内蔵されていた。これは少しひねるだけでよかったが、パドルを等速で
しか動かすことができず素早い動きに対応できなかった。この入力方式はアーケードゲーム機の
『コズミックモンスター』(当時のユニバーサル、『スペースインベーダー』のコピー)
筐体付属のコントローラーでも採用されている。改良型(Model CTG-15V オレンジ色筐体)
ではボリューム式に変更された。
後発のカラーテレビゲームシリーズとの共用が可能なACアダプターはまったく同じ品番で
大きさと定格入力容量が異なる2種類が存在する。
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100万台の売り上げはすごいですね。
ファミコンの時代からアンチテレビゲームの動きってあったように思いますが、
それでもこの時代にこの価格で100万台も需要があったと思うとなんか勇気づけられます(笑)。

 

・レーシング112(1978年6月)

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名前の通りレーシングゲームに特化(?)したゲームハードですね。
ステアリングコントローラーがハードから生えているというのは、
現代から考えるとかなりすごい状態ですね。(^^;

以下、ウィキペディアより抜粋
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レーシング112(1978年)
トップビューのレーシングゲーム。本体中央に大型のハンドルと、その左横に2速の
シフトレバーが取り付けられていたが、アクセルはないのでシフトレバーでスピードが
2段階に変更できるだけである。112種類のゲームが遊べるという触れ込みだったが、
内容は同一のレースゲームが設定の組み合わせで112通りのバリエーションになるだけで、
消費者に飽きられるのも早かったとされる。価格は12,800円で、販売台数は約16万台程だった。
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販売台数16万台。
これがジャンルを絞った結果でしょうか。
112通りのバリエーションのくだりも少し無理がありますしね。
シフトレバーがついてるところなんかは素晴らしいと思います。

 

・ブロック崩し(1979年4月)

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こちらも任天堂から出たゲームハード。
内容は名前の通りですね。
ウィキペディア情報も薄めになっております。。

以下、ウィキペディアより抜粋
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ゲームセンターで人気を博した他社(アタリ)のブロック崩しを家庭向け製品にしたもの。
任天堂が初めて自社開発した製品であるが、開発に手間取り販売時期が遅れたため
売り上げは伸び悩み、販売台数は約40万台だったという。価格は13,500円だった。
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当時の13,500円って結構な金額だと思うんですが、40万台も売れてるんですね。
中身ブロック崩しのみで…結構すごい気が。。

レーシング112が少しかわいそうな気が…。(笑)

 

・テレビブロック(1979年8月)

ダウンロード

エポックが出したゲームハード、
任天堂のブロック崩しから4か月後の発売と完全に対抗馬ですね。
ゲームの内容は「ブロック崩し」より充実してたみたいです。

以下、ウィキペディアより抜粋
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・概要
ブロックくずしを家庭用テレビゲームにしたもの、LSIはアタリ社製。
テレビブロック発売に先駆け、1977年にアタリ社が製造した同内容の
ゲーム機『ビデオピンボール』を37,500円で輸入販売していたが、
後にLSIのみ供給を受けて自社生産し価格を下げて販売するようになった。
本体価格13,500円。ゲームの種類を一種類入れ替えた『テレビブロックMB』も存在する。
対抗機は任天堂が発売した『ブロック崩し』。

・コントローラ
リセットボタン
ゲームのスタートとリセットに使用。

ゲームセレクトボタン
遊ぶゲームを選択する。

ゲームレベルボタン
ゲームレベルを選択する。

ボールサーブボタン
ゲーム開始時やボールをミスしたときに新しいボールをサーブする。

ラケットコントローラー(パドル)
ラケットを左右に動かす。ブロック崩し・ラケット系のゲームで使用。

フリッパーボタン
本体側面左右に一つずつついている。フリッパー系のゲームで使用。

・内蔵ゲーム
フリッパーピンボール1
ラケットピンボール1
フリッパーピンボール2
ラケットピンボール2
ラケットゲーム1(初代機のみ)
ラケットゲーム2
ブロック崩し1(MBのみ)
ブロック崩し2
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コントローラーにパドルがついているところが斬新ですね。
さながらスーファミのLRボタンといったところでしょうか。
このころはハードとコントローラーが完全に一体になっているところも
特徴的ですね。

…と、6機種ほど紹介してきましたが、まだ紹介できていない機種が5機種あるのですが…
思いのほか長くなりましたので一回ここで切ろうと思います。(^^;

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